先日弊社のメルマガでこんなことをお伝えしています。
我々にはいつのまにか洗脳されている考え方があります。
その一つが、成功=幸福という考え方です。
確かに我々は成功することが幸せだとなにかにつけ教えられて来た気がしますし、成功を目指すことが大切だと言われてきた気がします。
一説にはこれはモノを売るために、経済を回すために洗脳しているとも言われています。
あなたも洗脳されていませんか。
そもそも成功の定義自体が曖昧ですよね。
何をもって成功というのでしょうか。
お金持ちになることなのか。
高級なものに囲まれて美味しいものをたくさん食べることなのか。
あるいは何かを達成することなのか。
仮に何かを達成することが成功だとしましょう。
何かを夢見て、それが実現することはとても素晴らしいことですし、達成した瞬間は幸福感に満たされます。
しかし、それだけで人生全体が幸せになるわけではありません。
むしろ、実現してからどうするのか。
人によってはまた次の夢を目指すかもしれませんし、夢が叶ったことで空虚感に襲われるかもしれません。
そう考えると成功することが幸せとは言えない気がしてきます。
それよりも何かを目指してワクワクしたり挫折してもまた挑戦していること自体が幸せな状態かもしれません。
あるいは挫折して諦めたけれど、周りの人が声をかけてくれたり、新しい出会いがあり、ホッとしたり、安心できたりすることによって本当の幸せを感じるかもしれません。
親鸞もこんなことを言っているそうです。
欲を満たすことが幸せだと勘違いしている、と。
幸せにはいろいろな考え方があっていいと思います。

こんな内容をお届けしたところ、メルマガの読者の方からコメントをいただきました。
この内容が大きな反響を頂いたのでご紹介させていただきます。
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我々現役世代は、どうしても60歳を一区切りとして、「総括」「振り返り」をしたがりますが、「その先」がまだまだ続くことを考えると、社会的、経済的な「財務的尺度」で測るのが60歳まで、それ以降は内因の欲求が満たされているかという「非財務的尺度」の比重の方が圧倒的に高くなるのではないかと思います。
私事で恐縮ですが、私の両親(母78歳、父76歳)を見ていると、「人生謳歌していて楽しそうだな」と羨ましく思います。
というのも、二人とも「自分の好きなこと」を商売にして、年金を貰う一方で楽しみながら二人とも稼いでいるのです。
母はずっと化粧品会社の営業をしていたことから人と話すことが大好きで、その延長線で70歳にして、(中略)カラオケスナック店舗を居抜きで借りて、管理栄養士の資格を取り、開業してしまいました。
母は全くアルコールは全く飲めませんが、店に来る様々な人と会話を楽しんでいるので、ボケとは無縁、毎日本当に楽しそうです。
父は自営業なのでまだ現役収入がありますが、(中略)大好きなカラオケが高じて、(中略)70歳の頃に歌手デビューしてしまいました。
勿論、全く売れていませんが、既にCDを5枚出し、母が経営するカラオケスナックで、週末にカラオケ教室を主催しています。
生徒さんが30名いて月謝が1万ですから月30万を趣味で稼いでいます。
しゃべり好きの母とカラオケ好きの父の趣味が、見事に70歳を過ぎて開花し、「本業」にしてしまったのです。
物凄いパワーだと思いませんか?
(中略)
お金持ちではないけど、老夫婦揃って、趣味と実益を楽しみつつ、社会的な貢献もしている。(中略)
高卒で何の学もなければ、共働きで二人の子供(私と妹)を育て、老後はまさに悠々自適の暮らし。
二人の表情には覇気があり、年齢を感じさせない生命力がみなぎっている。
サラリーマン生活の終盤戦を迎えている実の息子から見ても、本当に素晴らしい人生だと思います。
両親にも聞いてみましたが、「最高に楽しいし、100歳まで続けたい」と言ってます。
身近な例で恐縮ですが、健康で趣味を持ち、夫婦仲良く、仕事を続け、コミュニティの和を持ち、経済的な苦労もなく、社会的な貢献もしている。
狙ってやったのではなく、好きなことをやっていたら、結果的に「順回転」して、自分達の居場所を見つけた。
こういう人生こそ、真に幸福と言えるのだろうと思います。
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Oさん、コメントありがとうございます。
とても素敵なというか、凄いご両親ですね。
好きなことをして過ごすこと、社会と繋がっていること、
コミュニティがあること、これらが幸福な状況を作っています。
もちろん一律の方法があるわけではなく、人によって幸福に過ごす状態は違います。
またなんて不幸なんだろうと思っている人も捉え方を変えたら実は幸せだったと気づくこともよくありますよね。
このご両親のようにはなかなかできませんが、自分らしく幸せに生きていきたいものです。